あうとぷっと。

思ったことを書き留めていくやつ

10回目の3.11

10年前、私は母の働き先でもある祖母の家でうたた寝をしていた。
たまたま目が覚めて座っていたら、なんか揺れているような感覚だった。
きっと寝ぼけているんだ、と思っていたら電気が揺れていて、NHKをつけたら東北地方で大地震ー。

私が記憶している限り、最初の津波予想は3m。私は幼かったから「津波かー」位にしか思っていなかった。

映し出されていた気仙沼漁港に津波が達する。
今でも鮮明に覚えているのは、津波によって浮いていく漁港のカゴ。段々流されていって、次は車。

みるみるうちに漁港が海と同化し始めて、ここで私の記憶は切れた。

来る日も来る日も地震の映像とACのありがとうさぎ。

ちなみに、この頃私は通信制の高校に通っていたので登校はしていない。
鬱状態が酷く、2011.3.11以降地震関連の映像を見ると手が震えて、被災地にいないのに軽いPTSDになった。

 

原子力発電所の爆発。知識が薄かった私は「なんか爆発した」位にしか捉えていなかったが、その後お付き合いした人が被災地にボランティア活動に行っていて、物々しさに怯えた。
原発の近くを通ろうとすると警備員がいて通れないとか、諸々。
この件もあり私は、原発が無くなればいいなと思うようになった。
あと、山の近くと海の近くに住みたくないと思うようになった。津波と土砂崩れが怖くて。
平地で山も海もビルもないところじゃないと安心できなくなった。

あと大きいのは、コンビニとかの募金箱に募金するようになった。1円とかだけど…、それまでダサいと思っていたから私の中の世界が変わった。

 

10年経った今日、いま、サイレンが鳴る。
黙祷を捧げる前に泣きそうになっている。
軽いHSP気質ではあるけど、そうじゃなくて記憶のフラッシュバックが止まらない。

多分、何年経ってもこの気持ちは戻ってくるし、戻ってこなきゃいけないと思う。
過去を忘れてはいけない。
被災した人だけの記憶にしてはいけない。

1年で一番来て欲しくない3月11日。

この日が風化しませんように。